中学受験

都立中高一貫校を受検することの価値。高校受験・大学受験担当講師の視点 ②

都立中高一貫校の問題は「適性検査」と呼ばれる思考型テストであり、パターン化された計算や社会の歴史などの暗記力を問う問題は出題されない。代わりに、科目を横断した長文や資料を読みこんで、そのテーマや問題の扱い方、解決方法などを論述する問題が出題される。読解力・思考力・表現力などが一度に試される試験だ。

 「そんな難問、相当頭の良い子しか解けないのでは?」

 と思われるかもしれない。そう、解けないのだほとんどの生徒は入塾時にあの問題を解かせてもわけがわからないだろう。

 何十行にもわたって会話文や解説文を読み複数の資料・グラフの趣旨を読み解きながら、提示された問題の解決方法を100字~200字の文章で表現しなくてはいけない。しかも大問は3つあり、各大問には2~4つ小問が付く。解答時間はわずかに45分

 ただでさえ、コミュニケーションツールの変化と活字離れによって、若者たちの国語力の低下が叫ばれている時代である。時間内に問題を解くこと以前に、自分の解答を言葉で表現することに多くの小学生は苦しむことになる。そもそも文を読むことに慣れていない生徒は、文章や沢山のグラフ資料の趣旨を読み解くことができない。そしてなによりも、勉強が好きでなくて且つ忍耐力がないと、長々とした文章を最後まで読むことが嫌になるため途中でペンを投げ出してしまう。

 しかし、そんな問題を解くことの難しさに子供たちが直面すること自体が、この入試を受けることの醍醐味の一つではないか、と私は考えている。

 子供たちが公立の小学校で教わることは、(もちろんすべてが簡単とは言わないが)まぁ、誰もが身につけるべき学力を等しく教わっているな、という程度のレベルだと私は捉えている。もちろん、それは今の小学校教育に異議を唱えているわけではない。様々な子供たちが通う義務教育なのだから、等しく多くの子供たちがみな最終的には理解できる範囲の学習を行わなくてはいけないだろう。

 しかしながら、供たちの潜在能力の高さを見逃したくはない、とも私は常々思っている。多くの子供たちは小学校で教わる学習内容をはるかに超える、難しい問題(questionだけではなく、problemとしても)に取り組む力を持っているのではないだろうか。

 実際、子供たちのスマホやタブレットの使い方をみればそれは一目瞭然だろう。わずか7~8歳の小学校低学年の子でもスマホの様々なアプリを上手に使いこなせている。「スイッチ」などのゲーム機器の使い方もよく覚えているものだ。中年の私はまったくついていけない。しかし、同時に自分自身にもそういう時があったことを回顧する。30年位前、我が家にあったVHSのビデオデッキで録画の予約方法を一番最初に覚えたのは当時小学生の自分だった。どうにもこうにも両親はすぐには覚えられない。「こんなの簡単じゃん」と思っていた本人をよそに、両親は、今の私が子供たちに対して抱いているその同じ感情をもっていたのかもしれない。

 

 そんな、だれもが「天才」を味わう子供の時期に、ふとまったく自分には歯が立たない問題に直面する。これは私立であろうと公立であろうと、中学受験をする子にしか経験できない、最高の能力の伸ばし方だろう。

 私は、新小5、もしくは新小6として都立中高一貫校の受検を目的とした入塾をしてきた生徒には、まず近場の都立中の過去問(近年は都立共同作成なのであまり大差ないが…)を見せて少しだけ解かせてみることにしている。もちろん、皆、「ウギャー」(←悲痛な叫び)となるのだが…(笑)

 受験(受検)をしたい、と幼いながらも自らの意志で塾に入ってきたのなら、子供たちにゴール地点になる「場所」をまず一度見せてあげるべきだろう。そしてそこにたどり着くための(必要な条件も含めた)プロセスを簡単に説明し、今までそのゴールまでたどりついた先輩たちの例をいくつか紹介する。

 私は、都立中学受検希望者には必ず伝えていることがある。「この入試は倍率は4倍、5倍、6倍になる」ということ。「一生懸命頑張っても、ほとんどの受検者が落ちてしまう入試だ」ということ。そして、「それでもこの受検をやってみたいのか」ということ。そして、こう付け加えている。

「この入試を戦ってきた先輩たちの多くは合格できなかったが、この受検を通してとてつもなく大きなことを学んだ。そして(都立中学である)〇〇中学に進学できなかったとしても、その後、別の中学や高校で大活躍しているんだ。この受検を経験しなかったら、彼らの今ほどの活躍はなかったかもしれない。だから、の受験は落ちるか受かるか、ではなく最後までやり切れるどうかがゴールなんだ。」

そして、「それでも頑張る、と決意している君たちが合格できるように先生は絶対に全力でサポートする」と伝えている。

もっとも、上記のやり方には否定的な見方を持つ人もいるだろう。子供をスポイルすることになる、それで受検をやめると言い出したらどうするんだ、最初は自信を持たせたほうが子供はやる気になる、等々。

 自信を持たせることはこの後いくらでもできるし、そもそもそんな1回目の「関門」で子供がやる気を失う程度なら中学受験などしないほうが良い、と私は思っている。

 興味深いことだが、私が経験してきたかぎりにおいて、こうしたことを伝えた子供たちはみな奮起していいペースで頑張るようになっていった。

 彼らが目下取り組まなくてはいけない課題は、過去問よりもはるかに簡単な基礎的な知識を取り入れるためのテキストや、簡単な絵や図から読み取れることをまず20字~30字程度で表現する訓練を行うための問題集だ。しかし、同じ教材を解くにしても、なぜそれを取り組むのか、最終的なゴールが見えているかどうかで生徒たちの意識は大きく変わってくる

 また与えられている課題以外にも自発的に能力を伸ばそうと動き始めるの生徒たちも出てくる。どうやったら文を書けるようになるか、どうやったら文章の内容を理解できるか。当たられたアドバイスをもとに、天声人語ノートを取り組む生徒、子供新聞を取り始めて毎週読むようになった生徒もいる。もちろんそれが数週間で成果の出る即効性の高いものだとは思わない。しかし、小学生本人も親御さんも思考型試験で求められている学力とはなんなのか、という点をしっかり考えると、とても有意義なアクションだということに気づくはずだ。少なくとも小学校の基礎的な問題だけを宿題で解いて満足し、残りのあまり余った能力をスマホやビデオゲームで満たすよりもはるかに良いだろう。

 都立中高一貫校の思考型テストは、一度慣れてしまえば非常に解きやすい問題だと言える。

 事実、私立中学を受験する生徒よりも覚えるべき知識の幅はかなり狭い。例えば、社会の地理を例えにしてみよう。都立中受検者は「長野や群馬で高原野菜が収穫される」ことは覚えておいたほうが良い。しかし、「長野の野辺山や群馬の嬬恋村で」高原野菜の収穫が行われていることまでは覚えなくても特に問題はない。むしろ、高原野菜がなぜ長野や群馬でとれるのか、高原野菜はなぜ価値があるのかを理解することは大切だ。もっとも、後者の理論部分については「野辺山や嬬恋村」を覚えるべき私立中受験者も覚えるだろうから、実質都立受検者のほうが覚える量は少ないのだ。逆に、理論立てて説明する範囲においては都立受検者は「よりシンプルに・よりシャープに」書けるようになってほしいが。

 最終的な学力は十人十色だが、それでも小5の最初から初めて、小6の冬を迎える頃には、当初理解することも表現することもできなかった思考型テストを、(「まぁなんとか形になったな」、というラインまで)多くの生徒が解けるようになるのは本当に驚く。

 

基礎力は10歳~12歳位までで、ほぼ決まる

スポーツの分野でも、音楽でも芸術でも、そして勉強でも、この理論(もはや真理なのか?)はやはりいつも変わらないな、と私はつくづく感じている。

さて、そんな小学生時代の受験という経験は、彼ら彼女らが中学生、そして高校生になった時どのように活かされているのだろうか?

③へ続く