前回のブログからの続きになります。
「あー、自分って『言葉』を全然知らないなぁ。」
入試の過去問をトライするようになると、中3生は毎年のように、こんなセリフを口にします。
過去問を早く解き始めることの利点の一つは、こういう「自分の至らなさ」に気づけることです。とりわけ、「国語」を解くときに「ボキャブラリー不足」に苦しんでいることに気づける生徒は優秀です。ただ単に、「国語わかんなーい」と投げてしまう生徒も沢山いますから。
先日の中学部春期講習2日目で、中3生の生徒が上記のように言ってきたとき、「今年の大森山王学院の中3春期講習で『過去問トライ』をやって正解だった」と私は感じました。
「どうやったら国語を解けるようになるか?」
今まで沢山、この件については保護者の方からもご相談を承ってきました。
「今の若者達は活字離れが進んでいる」というような意見をよく耳にします。「今の若い子は新聞を読まなくなった。」「子供たちが本を読まなくなった。」
たしかに、子供たちの読解力はここ20年ほどで確実に落ちてきていると感じます。
なぜ今の子供たちは大幅に読解力が落ちてきているのか?
一言でいうと、「言葉の空気を読む力」が落ちてきているからだ、と私は捉えています。
文章中の言葉・表現から、登場人物の考えや気持ちを汲み取る力、筆者が『どんな意見を持っているのか』を読み取る力、要するに、文章を読みながら『空気を読める人』になっているかどうか。「今の子供たち」と言っても千差万別ではありますが、総じて中3生を見ていると、この力が年々落ちてきていることを痛感します。一定年齢以上の人たちは新聞の購読や読書などを通して、この力が自然と培われていたと思います。しかし(インターネット・スマートフォンの普及で)今の子供たちは瞬時に答えを得られる環境に慣れてきており、(動画などで)視覚的に情報を得られる環境が当たり前になってきています。結果として『言葉』から情景をイメージしたり、言葉が伝えているメッセージを深く考える力が養成されないのです。
加えて、知っている「言葉の量」がどれほどあるかという点も、「読解力」に差が出る要因の一つでしょう。新聞や文庫本でももちろん得られますが、人は、会話によって多くの『言葉』を会得します。コミュニケーションの量と質が落ちてくると、当然ながら知っている語彙力は減ります。
私がこの仕事を始めたばかりの頃の中学生(1980年代後半生まれ)と、今の中学生(2000年代後半生まれ)とで比較して感じるのは、単語で会話をする子が増えたな、ということです。
昔:「この写真、めっちゃ神秘的じゃね?」-「マジで芸術品。いつかここに絶対に行ってみたい~。」
今:『うわ~。エモー。」-「それな。」
どちらも若者特有の会話ではあるものの、下のほうがいわゆるLINE・SNSでの言葉遣いです。こういう会話が当たり前になってくると、いざ長い国語の文を読むのもきついし、なにより国語の文章を読み切るに足る語彙力が身につかないわけです。そして、語彙力が足りないと、「言葉の空気を読む力」もついてはいきません。
さて、少し横道にそれてしまいましたが、
「国語力が足りない」と感じた中3生の話…。
そして、「国語ができない」ではなく「言葉を知らない」ゆえに国語の問題を上手く取れないことに気づいた生徒は、上記の流れからすると、すごく着眼点が良い生徒だと言えます。
語彙力を増やすことから始める。
中学生にとっては、これが一番近道です。
時折、「うちの子は国語ができない」と思い悩んで、すぐに「新聞を読ませよう」とか「いっぱい本を買ってきて読ませよう」と行動される中学生の親御さんがいらっしゃいます。完全に否定はしませんが、かなり遠回りな戦略です。
小学校低学年くらいであれば、ゆっくりと「子ども新聞」を読んでいく、というのもありです。でも、そもそも「言葉」をスポンジのように吸収するような子供に育てたいのなら、もっと幼い時から、親御さんが物語などを「読み聞かせ」することから始めるべきでしょう。
では、中学生になってから「語彙力」を増やすためには何ができるか。
私は二つのことを提案します。
①中学で習う「漢字」を覚えるときに、言葉を覚える。
中学校で習う漢字、つまり漢検3級レベルの漢字をまずは覚えていきます。普通の中学生は漢字の「読み・書き」だけできると満足してしまうのですが、基本的に「語彙力」が足りない子は読み・書きができても、その言葉の意味が理解できないままスルーしていることが多いのです。そこをすべて理解すること。学校で国語の成績が『4』ぐらいが取れている子でも、中学校卒業レベルの言葉(漢字)の意味をどれほど知っているか。100問くらい確認して付け合せると、意外なほど知らない言葉が沢山出てくると思います。
自分で(スマホなどを使ってもOK)調べられるのなら、どんどん調べて覚えればいいですが、できれば親御さんや塾の先生、あるいは他の大人にどんどん聞いて、具体的な例文にしてもらったほうがはるかに吸収できます。←こうやって大人に言葉の意味を聞くことも『語彙力を増やす大人とのコミュニケーション』になります。そして覚えたら日常会話の域で意識的にその言葉を使っていくこと。可能ならば親御さんもその言葉を意識的に使ってあげることです。(英会話などと同じ理屈です)
意外なほど、この「漢字バージョン」は上手く入ります。(もちろん、サポートしてくれる大人の手助けの度合いにかなりかかっていますが…)
②質の良い漫画や、ドキュメンタリー番組を定期的に見続ける。
現在、小中学生のお子さんを持たれる親御さん世代の方でも、胸に手を当てて正直に考えると「自分は子供の頃、読書家だった」と自慢できる方は意外と少ないのではないでしょうか。
かくいう私も、高校生の時には(大学受験に向けて)3年間、朝日新聞を毎日読み続けましたし、毎週『AERA』を読んでいましたが、小中学生の頃は大して読書はしていませんでした。ちなみに高校3年間AERAを読み続けることは、塾講師となった今でも生徒達にお勧めしたい点です。3年間毎週読み続けるなら、総合選抜入試(旧AO入試)の小論文・エントリーシート・ディスカッション対策としては大きな効果を発揮するでしょう。
でも、漫画の「美味しんぼ」は子供のころから欠かさず読んでました。
当時は単純に「面白い」と思って何度も同じ巻を読んでいましたが、今思うと「美味しんぼ」を読んでいる小学生って結構「背伸び」していたな、と思います。でも、これが良かった。言わずもがな、「美味しんぼ」って「大人の世界」、「大人の視点」でストーリーが展開されていくわけです。しかも、『食』を通して世の中の世相を斬っていく内容。漫画を読むことで「大人の会話」をいわば『盗み聞き』できるんですね。当然、『言葉』も沢山覚えます。しかも大人向け漫画にありがちな下品で貪欲な描写がない。教育的な視点から見ても、今の中学生にも読むことをお勧めできる『教材』です。
当時は結構「美味しんぼ」を読んでいる同級生がいました。そして、あの漫画を読んでいる友人は、(学校の成績が良いか悪いかは関係なく)理屈家で、よくも悪くも「頭でっかち」な子が多かったように感じます。そしてそういう子は大概、大して受験勉強もしなかったのに、最終的に希望した学校に受かったりしていました。振り返ってみると、それこそが「語彙力」をつける訓練をしていたのかもしれませんし、「言葉から空気を読む」練習になっていたのかもしれません。
今でも、そんな「ちょっと背伸びした」質のいいマンガとか、思考を刺激するテレビ番組ってあるような気がします。活字離れが進んでいる子にいきなり活字を強制するのではなく、視覚的なサポートも加えながら『言葉』を覚える。
NHKの「プロフェッショナル仕事の流儀」、民放だと「ガイヤの夜明け」、「情熱大陸」などは、教養や知識や言葉を知るにはとてもいい教材です。
ニュース番組でもいい。批判するようで申し訳ないですが、私は生徒達に「昼のワイドショー」は見ないように勧めています。感情的で、その場の雰囲気を重視した番組だからです。出演しているコメンテーターと呼ばれる芸能人たちの言葉遣いにも、学べる良い点などまるで感じません。
ニュースを見るなら、むしろ夜遅い時間帯のニュース番組の方がいいでしょう。「NEWS ZERO」とか、「報道ステーション」とか。面白おかしくすることを目的としているのではなく、情報をコンパクトに提供することを目的としているからです。私は中高生時代、『筑紫哲也のNEWS23』を好んで見ていました。「多事総論」は、世の中のその時に起きている問題を中学生でも理解できるようにまとめていて名作だったように記憶しています。NHKの『視点・論点』をおススメする教育者の方もおられますが、あれは大学入試などを見据えた上級編です。もちろん、最終的にはあのくらいの解説を理解できるようになるべきですが…
残念ながら夜のニュースも、昔の筑紫哲也・久米宏時代のような意見をしっかり言うキャスターがいなくなって、今は少しバラエティー化してきている気がします。とはいえ、同時間帯に低俗なバラエティー番組を見るくらいなら、ニュース番組を見ている方がはるかに多くのボキャブラリーが身につくはずです。こういう点で、『家庭環境』ってすごく重要だと感じます。かつて、ある中学生に夜のニュース番組を見るように勧めたところ、「でもうちは、親がゲーマーだから夜ずっとゲームでテレビ使ってて見れないよ。」とポツリこぼしていました。残念ですね。親がニュース番組よりバラエティーやドラマやゲームに興味があるなら仕方がないです。ちなみに、一番の理想は、テレビなどほとんどつけずに(電子機器もあまり使わずに)、夜は家族でその日あったことを話して会話を楽しむことです。
とまぁこんな話を、かいつまんで中3の生徒に話したりしました。(先週は前後して小6受験生と高校2年生の生徒達にもこの話をしました。)当人達は、国語の「語彙力不足」とそれを打開する方法を考える中で、「勉強することの大切さ」を感じたようです。
「言葉を知らない」って、「無知」ってことと一緒ですから。
どうしても、目先の「英語」や「数学」の点数を追いかけているだけだと、「勉強ってしんどいな」という気持ちが時々芽を出してしまうものです。
でも、勉強は嫌いだけど、多くの若者は「バカでいる」のは嫌なんですよね。
そして国語が解けるかどうかは、この「バカかどうか」の分岐点だったりします。勉強するからには「できるヤツ」「わかっているヤツ」になりたいものです。
少しだけ、みんなの闘志を燃やすことができたでしょうか。色々と世の中の世相やメディアをディスってしまいましたが、国語の授業を通して「勉強する意義」をまた一つ見つけてくれたらうれしいものです。